みなさんの声

2025年には65歳以上の世帯1人暮らしの割合が35.4%10人に4人弱が地域で1人暮らし、 65歳以上の5人に1人が認知症になるといわれています。保健談話室は、地域包括ケアシステムの様々な入口の中の1つとして、これから地域の身近なよりどころ』地域包括ケアの縁側なっていくのではないでしょうか。2023年9月、暮らしの保健談話室がスタートしました。参加された方達の率直なご意見、声をお聴きしました。

・待ち望んでいた形のものが、より身近な処いて

   頂け感謝です。

 

・他県、他所から来て親戚縁者がいないのでり所

   の居場所ができた気 がします。建設お話しが

   できる場所ができてうれしい。

 

・先生(医師)に自分の不安に感じている持病の

   し、聞いてもらったら 安心した。ご近方と久

   しぶりに会え、近況が聞けた。

 

・お腹の具合が悪かったので、先生(医師)に話

   てもらった。

 

・薬剤師さんと身近な話で盛り上がり、親しり楽

   しかった。今度も参加したい。

 

70歳過ぎ、仕事をやめ家に入ったが、悩む

   あり、最近やっとなんとか いろいろな出かけ

 チャレンジしてみようという気ったので暮らし

 の 保健談話室に巡り合えかった。知らない事

 例をいっぱいもらえ又来たいと 思っている。 

 

最近、物忘れが多く自分に自信を無くいるが、

   専門職の方や皆さんと 会えいろんな刺激をもら

   い自分を律するができた気がする

・いろんな資料を頂き読ませて頂きま。会員に

    なって活動に参加はできませがリモート講座に

    は是非参加させてい。素晴らしい活動だと思

    います

 

・男性が多く参加されていたのが良かと思いま

    した。男の人は、あまり、こいった場所には自

    主的に参加するこ少ない気がしていたから

 

・緩和ケアをしている会員のビデオレターやほっと

    会さんのお話しは、「自分 どう生きているの

    か」を改めて考えられる内容でした。

 

理学療法士の先生に相談して、自分な今、治

    療している方向性が 整理でように思います。

 

・「暮らしの保健室」話室」の両があるこ

     とで、よりいろんな情報や繋がが深まると思い

     ました。いろんな場できていくと良いです

   ね。


第二日曜日、気軽に立ち寄れる居場所

肩肘張らずに、ざっくばらん

身近に感じる医療・介護・福祉


初めての保健談話室ということもあって、前半はセレモニーもあり少し緊張した雰囲気でした。でも医療・介護・福祉の専門家の方達を交えてのフリートーキングは、暮らしの中で疑問に感じている身体のことを聴いてもらい参加者は気持ちが楽になったようでした。個別の相談室もあり、普段着の医師や看護師と垣根を越えてお話ししていました。


 

🌼ひとり暮らし(ついすみ便り投稿M.S)

一人暮らしというと何か寂しく、孤独のように感じられるが決してそうではありません。両親を送り、愛犬も送り、8年が経ちました。最初のうちは寂しかったですが段々慣れてきました。

生活の上で、健康には気を付けています。特に食事には気を付け自分で作ります。材料は小分けにし、煮物等も冷凍できるものは冷凍保存します。身体に良くても嫌いなものは無理には食べません。それに代わるものを摂るようにしています。その方がストレスが溜まらないと思うからです。運動はラジオ体操やかかと落とし、あとは積極的に家事をやり身体を動かしています。  

地区の行事には出来るだけ参加して、ご近所ともいい距離感で付き合っています。親戚、特に従姉妹たちとは連絡を取り合っています。息子とは電話、ラインで月、1.2回連絡を取っています地元にいるので友達、特に同級生とは親しく付きっています。基本、何でも自分でやりますが、出来ことは友達に助けてもらっています。電話を含めて一日三は話すようにしています。今のところ健康には問題あんが、いつ介護状態になるか分かりません。その時はらしでも在宅介護を望みます。”終の棲家”はやはり自いです。とは言ってもどうなることやら・・・その日までれていることに感謝しつつ、一人暮らしをエンジョイしいです。


 

🌷 90年生きて幸せですか?(ついすみ便り投稿A.M)

型ウイルスの襲来でスティーホームが続きテレビを観る機会が増えました。テレビを通して新しい発見があったり、新型コロナウイルス情報を通して世界情勢が改めて見えてきたり。・・・テレビで学ぶことの多いこの頃です。

ある日テレビから10歳くらいの子どもが呼びかける声を聞きました。「100歳まで生きるって幸せですか?」「嬉しいことがたくさん増えましたか?」「おもしろくなりそうですか?」。生命保険のコマーシャルのようでしたが、私はこの声になぜか90年生きたこれまでを振り返っていました

世界大恐慌の迫っている昭和5年に生まれ貧乏の中に育ち、太平洋戦争を経験しました。戦中戦後の不安やひもじさなど深く心に焼きついています。そして高度成長期を経て平穏で落ち着いた生活が送れるようになったと思っています。しかしその間に、地球環境は変化していきました。最近頻繁に起こる自然災害や地球温暖化等は、自然破壊による気象変動だといわれています。そして今まさに直面している新型コロナウイルスも関連があるのではないかともいわれています

こんな世代を生き続けて90年、「幸せですか?」と問われると一寸戸惑います。しかし清濁を合わせて経験し濁を乗り越えてこれた人生は、幸せであったと思うようになりました。そして今、ついすみの会員として残された命をどう生きるか。どんな終焉を迎えたらいいのか学ぶ幸せを感じています。

 

🌸自分の今を振り返って(ついすみ便り投稿K.I)

までの自分の事を振り返ってみました。平成3年の乳がん検診で甲状腺がんが見つかり、その後、私の母も、そしてもがんが見つかりました。そんな中でも皆運よく病気を克服し元気に暮らしてきたので、今まで自分の終末期などを考えることもなく日々の生活に追われてきました。

 昨年ついすみの会に参加させて頂き、他人事のように考えていた老後の生活も、今年70歳になり改めて先が短い人生だと実感するようになりました。いろいろな終末期医療にかかわる本を読んだり、皆さんのお話を聞かせていただき自分の最はどうしたいのか家族に気持ちをちゃんと伝えておく事の大切さを学ぶことができました実際現実の社会はどんどん高齢化が進み、若い人減少している現状で、自分が在宅の介護を希望しても,叶うか不安も感じます。これからの時代は若い人に頼るだけでなく、自分自身の健康管理を一番に考えながら、地域の人達との交流も大事にしていきたいと思います。今まで当たり前に出かけたり、サークル活動いた日常が、どんなにありがたく貴重なったかを実感しました

 

🌻両親の介護(ついすみ便り投稿K.F)

 私の4人の兄弟姉妹は、実家で暮らす両親を15年間介護しました。この期間、4人は交代で実家に泊まり込みました。大変な時には、ショートステイを利用し、長い年月をどうにか切り抜けました。私が泊まった翌朝の5時、母は13年間の闘病を終えました。長年病気に苦しんだ最期は、実に静かでした。私はその時ふと、活動的な母が突然骨折した時、落ち込みがひどかったこと、4人で精神的サポートに努めたこと等を思い出しました。あれこれ振り返りながら気持ちの整理をつけ、時計が8時を回ってから、私はかかりつけの先生に連絡しました。

 父は母の死から2年後、数え年100歳の生涯を終えました。その日は姉が泊まっていました。両親は最期まで自宅で過ごしたいという意思を私たちに伝えていました。生前の意思表明があったことで、私たちは両親の思いを叶えることができ幸せでした。措置の時代から社協さん、診療所の先生ご夫妻他、大勢の方々に支えていただいた15年間でした。 介護保険が2000年に導入され、介護の場も病院・施設・在宅と選択肢は増えました。受けることのできるサポートによっては、自分の希望する最期が実現できる時代です。ついすみの活動に取り組む中で、自分と正直に向き合うことでヒントが見つかるかもしれないと思っています。コロナで世界中が不安を感じている今、何より話し合える仲間がいることに感謝です。

 

🌷俳句と暮らし(ついすみ便り投稿S.Y)

 64日は私の83度目の誕生日でした。コロナウイルスのために家族達は外出自粛で移動できず、それぞれにラインで祝ってくれました。気が付けば、夫や両親の享年をすでに超え、周りでは最年長になってしまいました。自分の歳を信じられない思いです。ここ数年に同級生二人と句友、知人を失い、喪失感に襲われています。特に趣味が共通で、旅行に行ったり、映画を見たりした長年の親友を失った痛手はなかなか癒やされません。“長寿とは人との別れ花の冷え” 夫が亡くなった直後には冬夕焼待つ人のなき家路かな“ 

 目覚めればやっぱり独り明け易し“ ”一軒に一灯のみの寒さかな“など孤独を詠んだ句ばかりでしたが、次第に、”青き踏む孤独を自由と思いたし “稲妻や一人で耐へることに慣れ ”自在なる独りもよけれ年暮るる“ という心境になれました。

またこれからは、 “子に見せん八十路の暮らし青嵐 の気持で、自分を鼓舞して生きていこうと思っています。  

 

現在の関心事はアフターコロナの日本です。若者が希望を持てる社会を願っています。